Precincts

鳥居
Torii
鳥居

赤城神社の入口で参拝者を出迎える「鳥居」。

鳥居とは、神社の内なる世界と外とを分ける存在で、鳥居の内は神さまがお鎮まりになる神域とされています。鳥居の起源は、天照大御神(ルビ:あまてらすおおみかみ)が天の岩屋にお隠れになった際、八百万(やおよろず)の神々が鶏を鳴かせ、このとき鶏が止まった木を鳥居の起源であるとする説。あるいは、外国からの渡来説などがあります。

赤城神社の鳥居は、伊勢神宮の直系として、伊勢神宮と同様の形式で建てられています。建てる時には、赤城神社境内より樹齢約150年の杉が選ばれ、切り出されるのです。(現在の鳥居は、令和3年に建て替えられました)

手水舎
神池
Chozuya
手水舎

鳥居をくぐると右手から水の音が聴こえてきます。見えてくるのは、龍の口から水を出す「手水舎」(ちょうずや)。

手水舎とは、参拝前や神事に参列する際に、手と口を清めるための場所です。参拝をする前に心身ともに清らかな状態となるように清めます。その由来は、神話「黄泉の国」に見ることができます。『古事記』には、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が死者の国である黄泉の国から帰って来られた際に水に浸かって、禊祓(穢れを祓い、身を清めること)を行ったことが記されています。「水に浸かり、穢れを落とす」——禊祓などを簡略化したものが、手水です。

この手水舎では龍の口から水を出すように意匠が施されています。龍は水辺を司る神さまだと言われていることが、意匠の背景ではないかと推測されます。

Kamiike
神池

手水舎を囲むようにあるのは「神池」。

この池には赤城山の湧き水が流れ込んでいます。水は赤城神社の宝です。水は人間が生きていく上で必要不可欠なだけでなく、「穢(けがれ)」を洗い清めるためにも重要です。「穢(けがれ)」は神事への関与が憚られるほか、他人にも災いを与えるものとされています。このような穢を水などで流しさるために「禊(みそぎ)」が行われてきました。

神代文字碑
Jindai Moji
神代文字碑

参道を歩くと見えてくる大きな石碑は、漢字が伝わる以前に存在したとされる「神代文字」が刻まれた「神代文字碑」。

この碑は安政5年以来の開港の影響により、神官や国学を学んだ人々が、明治の初めにこの赤城神社の地に「国学の塾(学問所)」をつくった記念碑です。碑文は平田 鐵胤(ルビ:ひらた・がねたね)(「神字日文伝」の著作者で神代文字肯定者の一人でもある江戸時代の国学者・平田篤胤(ルビ:ひらた・あつたね)の養子)によって撰文され、神文は鐵胤の子、延胤(ルビ:のぶたね)が提文。書は篤胤の門人・権田直助(ごんだ・なおすけ)によるものです。碑文には「マナヒトコロノナレルコヱヨシ」という言葉が記されており、対馬の阿比留家(ルビ:あひるけ)に伝わる神代文字(阿比留文字)で書かれています。

復古神道の遺物として重要なもので、昭和53年4月に前橋市指定重要文化財に指定されています。

拝殿
神楽殿
Haiden
拝殿

鳥居を抜けた先、正面に構えるのはお参り(拝礼)や祈祷を行う「拝殿」。

「祈祷」とは、神主が祝詞(のりと)を奏上し、人それぞれが祈願することを伝える儀式です。祈願の内容は人それぞれの事情に応じて異なりますが、神さまに感謝を伝えたり、自分の決意を伝える場とされています。

Kaguraden
神楽殿

拝殿より、左方向に向かって歩いていくと右手に見えるのは、神さまに奉納する神楽や能楽、舞楽などを奏する「神楽殿」。

神楽殿にて奉納される太々神楽は、「社家年代記」によると岩戸神楽の系統で貞享元年(1684年)に京都より伝承されたと言われています。座名は四神舞(ししんのまい)から始まり児屋根舞(こやねのまい)まで、独特の名称で呼ばれています。古くは24座の神楽が奉納されましたが、現在では5月5日の例大祭(ルビ:れいたいさい)で14座、元旦の歳旦祭(ルビ:さいたんさい)と1月5日の修請会(ルビ:しゅうせいえ)に各2座が奉納されます。

この三夜沢赤城神社太々神楽は、昭和60年7月4日に前橋市指定重要無形民俗文化財に指定されました。

本殿
俵杉
Honden / chumon
本殿 / 中門

拝殿の右手にある階段を登っていくと見えてくるのは、明治2年(1869)の建立と伝えられている「本殿」ならびに「中門」。

群馬県指定の重要文化財に指定されています。神社建築の様式では、三角形に見える方を妻(つま)、屋根が平行に見える方を平(ひら)といいます。

神明(ルビ:しんめい)造りである赤城神社の本殿では、棟を境に本を開いたように屋根が両側に流れている「切妻(ルビ:きりづま)造」の屋根と、「平」側に入口がある「平入(ルビ:ひらいり)」という形になっています。屋根には銅板が葺かれており、屋根の両端には、交差し高く突き出している「千木」。その間には棟木の上に直角になるように「堅魚木(ルビ:かつおぎ)」が8本並んでいます。

本殿前の中門は「一間一戸(柱間の数が一つで、扉が一つある門)」の「四脚門(本柱2本、控え柱が4本)」という構造をしており、同じく銅板葺でつくられています。本殿、中門いずれも当時の神仏分離・復古神道の影響を受けたものです。

Tawara Sugi
俵杉

拝殿の後方(中門の南側とその西隣り)にそびえ立つ、3本の大きな杉は、県指定天然記念物の「俵杉」。

俵杉には、天慶の乱で平将門を滅ぼした藤原秀郷(別名:俵 藤太)が献木したと伝えられています。この伝説をたどれば、樹齢1000年以上。藤原秀郷は大ムカデを退治して琵琶湖の竜神を助けた弓矢の名手として名高い英雄です。

赤城塔
鏡界の鳥居
Akagito
赤城塔

鎮守の杜に入っていくと、見えてくるのが「宝塔(赤城塔)」。

宝塔とは仏塔の一種で、単層のものを宝塔、三重塔や五重塔などの二層以上のものを多宝塔と呼びます。法華経の「見宝塔品」の説話に基づき造立されました。木や金属製、石製のものなどがあります。石造の宝塔は、基礎の上に塔身を据え、その上に屋蓋と相輪を乗せるのが基本的な構造です。

三夜沢赤城神社の宝塔は、総高124.5cm・塔身高28cm・塔身幅38cmで、基礎から相輪まで残り、保存状態も良好。塔身は短く、下部も強くすぼまっており、室町期の特色を示しています。

法華経信仰は天台宗の伝統的な信仰であり、鎌倉期の宝塔も長楽寺周辺と赤城山南麓に集中しています。南北朝〜室町期にかけても赤城山南麓から椎名山東麓にかけての中毛地域に広く分布して、室町期には造立の隆盛を迎えます。関東全域を見渡しても、中毛地域ほど石製の宝塔が濃密に分布する地域がないことから、中毛地域における天台宗の強い影響が窺われます。本例は中世の信仰の一端を表すとともに、極楽往生を求める人々の祈りを示すものとも言えるでしょう。

Kyokai no Torii
鏡界の鳥居

拝殿より右奥をよく見てみると、浮かび上がってくるのが、鎮守の杜の中に溶け込む「鏡界の鳥居」。

高さ5メートル、幅5メートルの鏡で覆われたステンレス製の鳥居は、ソウワ・ディライト代表取締役CEO/アーティスト・渡邉辰吾氏が中之条ビエンナーレ2023に出品し話題となった作品です。展示後、赤城神社に奉納されました。
「鏡界の鳥居」は、鳥居に内蔵したネオン管から、成層圏と宇宙の間にある色温度9,500ケルビンの青白い光を発光。作者である渡邉氏いわく「地球から出て宇宙を感じる光」を表現しているのだそうです。一年に一度、旧暦の7月1日に毎年開催している夏祭りにて「鏡界の鳥居」の公開点灯を行います。

櫃石
Hitsuishi
櫃石

赤城神社から、およそ50分歩いた先にある巨石は「櫃石(ルビ:ひついし)」。

赤城山荒山(ルビ:あらやま)の中腹にある小峰の頂上(標高877.9メートル)に位置し、古墳時代中期(5世紀後半から6世紀前半)の祭祀遺跡です。長径4.7メートル・短径2.7メートル・高さ2.8メートルほどの巨石を中心として周囲にも径1から2メートルほどの自然石が見られます。巨石の周辺からは滑石製模造品や手捏ね土器などの祭祀遺物が採集されています。