赤城神社

三夜沢赤城神社は、群馬県前橋市三夜沢町にある歴史と美しさが共存する神社です。
赤城山のふもとに位置し、自然に囲まれたこの神社は、日本の伝統と信仰を感じる場所として、多くの人々に親しまれています。

歴史と由緒

三夜沢町に佇む三夜沢赤城神社は、群馬県前橋市の赤城南麓に位置しており、国道353線から参道の松並木の側道を北上すると、美しい杉の森に囲まれた神社が現れます。西暦1556年の建立記録を誇り、多くの歴史的な遺産を抱えています。境内には「惣門」と呼ばれる門や、神明造の「本殿」、美しい彩りで飾られた「本殿 内宮殿」など、県指定の重要文化財が数多くあります。この神社は、荘厳な雰囲気と厳粛な空間が訪れる者の心を魅了し、特に年末年始には多くの人々が訪れ、賑わいます。

赤城神社の名前が歴史書に記されたのは、仁明天皇の承和六年(839年)です。そのころには、既に朝廷からの公認を受けていました。延喜式の神名帳で、名神、大社として評価され、後には正一位の神位を得ています。赤城神社が古くから名高いのは、群馬県全体を支配していた上毛野君という一族が祀っていたからです。上毛野君は豊城入彦命の子孫とされ、東国や東北地方を治めていました。日本書紀によれば、豊城命が東国を治めることになり、その後の子孫が続々と栄えていきました。赤城神社は、その中心地である群馬県(上毛野国)に位置しています。そして、赤城山の神や、農業の神としての役割も持っていると考えられています。

御祭神

三夜沢赤城神社は、赤城山の麓に佇む、自然と歴史が交差する聖地です。この神社は崇高な赤城山の神と水源を司る沼の神を崇拝し、農業と産業の神として、そして東国開拓の神として崇められています。また、この神社は古代から信仰を集め、多くの神々を祀る境内神社も含めて、関東一円から多くの信者と参拝者を魅了してきました。三夜沢赤城神社の御祭神たちは、この地域の豊かな歴史と文化を象徴し、神秘的な雰囲気を持つ境内で崇拝されています。

赤城神(あかぎじん)

三夜沢赤城神社は、赤城山の麓に佇む、自然と歴史が交差する聖地です。この神社は崇高な赤城山の神と水源を司る沼の神を崇拝し、農業と産業の神として、そして東国開拓の神として崇められています。また、この神社は古代から信仰を集め、多くの神々を祀る境内神社も含めて、関東一円から多くの信者と参拝者を魅了してきました。三夜沢赤城神社の御祭神たちは、この地域の豊かな歴史と文化を象徴し、神秘的な雰囲気を持つ境内で崇拝されています。

大己貴命(おおなむちはかのみこと)

国土開拓の神であり、赤城神社においては東国開拓の神として祀られています。三夜沢赤城神社は、地域の信仰の中心として長い歴史を有し、大己貴命を中心に多くの神々を祀っています。

豊城入彦命(とよきのいりひこのみこと)

崇神天皇の皇子で、上毛野氏と下毛野氏の始祖とされ、東国開拓の鎮撫の祖神として尊崇されています。

御祭神とは?

「御祭神(ごさいしん)」は、神社に祀られている神々のことを指します。神社において、神社ごとに異なる神々が祀られており、それぞれの神社において御祭神が存在します。これらの神々は特定の役割や属性を持ち、信者や参拝者に神聖な存在として崇拝されます。

例えば、日本の神社でよく見られる御祭神としては、自然の神、地域の守護神、歴史的な人物や神話上のキャラクターなどが含まれます。神社の名称や由緒によって異なる御祭神が祀られており、それぞれの神社において異なる神々が尊崇されています。

御祭神は、神社の守護や神事の主体として信仰され、神社に参拝した際に祈願や感謝の対象となります。特定の神社や地域に伝わる伝説や歴史に基づいて、御祭神が選ばれ、神社の文化や信仰に大きな影響を与えています。

境内神社

三夜沢赤城神社では、関八州一宮や上野国延喜式内社などを含む合計で九十三社の神々を祀っています。これらの神社は地域社会や信仰者にとって重要な存在であり、神社の境内において異なる神々への祈願や崇拝が行われています。

神社とお寺の違い

お寺と神社は、どちらも大切な場所で、人々がお祈りをするところですが、違いがありますね。

そもそも神社とは?

神社は、日本古来の信仰、神道の場所で、神様を祭っています。神社には、鳥居という大きな門があり、その中には社殿という建物があります。神社では、山や川、自然や物の中に宿る神様を大切に思います。また、歴史の中で偉かった人が神様として祭られることもあります。神社には、神職という人が住んでいて、神様の教えを守り、私たちに伝えてくれます。

いっぽうお寺とは?

一方、お寺は仏教の場所で、中には仏像があります。仏像は、お釈迦様や仏教の神さまの像のことを言います。お釈迦様は、遠い昔に実際にいた人で、私たちにいろんな教えを残してくれました。お寺には、お坊さんが住んでいて、仏教の教えを守って、私たちに伝えてくれます。

要するに、お寺は仏教の場所で仏像があり、神社は神道の場所で自然や偉かった人を祭るところです。どちらも、私たちの心をきれいにして、悩みや願いを祈る場所として大切にされています

みどころ

社殿

本殿は、神社の中心的な建物です。正面に三つの部屋、横に二つの部屋あります。屋根は特別な形をしていて、屋根の上には銅板が使われています。特に、この屋根の上にある千木(ちぎ)と呼ばれる部分は、内側が削られており、8本の太い柱を支えています。この本殿と一緒に、約100年前に建てられたと言われている中門も、群馬県の大切な文化財に指定されています。

本殿の中には、神様が祀られている場所があります。これは宮殿と呼ばれ、扉の裏には「源成繁寄納」と書かれています。この宮殿は、木でできていて、特別な形をしています。高さは117㎝あり、柱には粽(ちまき)のような飾りがついています。全体的に、禅宗と呼ばれる宗教のスタイルが使われていて、室町時代という特定の時代の特徴をよく示しています。そのため、群馬県では大切な文化財として指定されています。

中門は、神社の入り口にある四つの足がついた門で、屋根も特別な形をしています。この門も、約100年前に作られたもので、群馬県の大切な文化財に指定されています。

俵杉(たわらスギ)

境内に佇む樹齢1000年を超える巨大な杉は、「たわらスギ」として知られ、藤原秀郷が平将門を討伐する際に寄進したものと伝えられ、、群馬県の天然記念物に指定されています。この神木は、平将門を滅ぼすなど歴史的な出来事に結びついており、その存在は神々しい雰囲気に包まれています。杉の枝は縦横無尽に広がり、神秘的な雰囲気を醸し出しています。

神代文字碑

神社内には「神代文字碑」と呼ばれる、漢字が伝わる以前に存在したとされる神代文字の碑もあります。この碑は明治3年3月に建てられ、碑文は平田鐵胤という人物(平田篤胤の養子)によって撰文され、神文は延胤(鐵胤の子)によって書かれました。碑文には「マナヒトコロノナレルコヱヨシ」という言葉が記されており、対馬の阿比留家に伝わる阿比留文字で書かれています。

神代文字とは?

神代文字(じんだいもじ)は、日本の古代文字の一つで、神社や古墳などの遺跡に刻まれたり、陶器や石に書かれたりした古代の文字です。これらの文字は、古代の祭祀や記録、宗教的な目的に使用されました。

神代文字は主に棒や線で構成され、単純で幾何学的な形状を持っています。ただし、解読が難しいため、全ての文字が完全に解明されているわけではありません。古代の神話や歴史的な文書の中にも神代文字が使われていたことがあり、それを解読しようとする研究者や学者がいます。

一部の神社や考古学的な遺跡で、神代文字の刻まれた石碑や陶器が見つかります。これらの文字は、古代日本の宗教的な儀式や神話に関連するものと考えられており、日本の古代文化や歴史を研究する上で重要な情報源となっています。

そのほか、境内東方約200m、櫃石への道の途中に所在する市の天然記念物「三夜澤のブナ」や市指定重要文化財の宝塔(赤城塔)がああります。

アクセス

所在地 群馬県前橋市三夜沢町114
電話番号 027-283-1268(赤城神社社務所)
社務所開所時間 10:00~17:00(季節により変わります)
電車・バス 上毛電鉄大胡駅からデマンドバスで20分
駒形IC、伊勢崎ICより車で30分
駐車場 第一駐車場60台 第二駐車場20台