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神域を示す鳥居をくぐる。
足を踏み出すごとに響く、
参道に敷かれた玉砂利の音。
静まっていく心を確かめ、
ゆっくりと息を吸う。
うっそうと生い茂る木々たちは、
少しずつ五感をなだめ、
感性を開かせる。
静けさの中で
そっと目を閉じてみると、
日常では感じ得られない
「神々の気配」が伝わってくる。
人間は生きていれば、さまざまな出来事に直面します。
我が身に起こったことを呪い、未来のことは考えられず、そして信じられなくなる。
そんな時、神社に来てほしいのです。
家族や友人・知人を頼るように、神社を「心の拠り所」にしてください。
「さて凡て迦微(かみ)とは、古御典(いにしえのみふ)等に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云ず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云なり。すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの奇しきものなども、よにすぐれて可畏きをば、神と云なり」
つまり「人間、動植物、自然などを問わず、人智を並外れた力を持ち、畏敬の念を感じさせるものはすべて神である」と考えたわけです。 そうして神さまを畏れ敬い、神さまへの感謝と加護を続けてきました。
神さまは感謝の念を持ち、必死に生きている人を見守ってくれます。 だから心が折れそうなとき、苦しいときには「神頼み」で良いと思います。 ご自身の内なる神さまが励ましてくれるはずです。
また、神社は失せてしまった「気(エネルギー)」をためる“充電スポット”でもあります。
忙しい日々を送っているといつの間にか気力が湧かなくなり、何をするにしても億劫になってしまうこともあるでしょう。 そんな時でも、一歩外に足を踏み出すことができそうなら、神社を訪れてみてください。 鎮守の杜に響く自然の音に耳を傾けていると、気がたまる。 自分があるべき定位置に戻ってきたような感覚を得られると思います。
身の回りのさまざまな事物を依代として現れる神さまですが、目に見えるわけではありません。 もちろん、実在していた人物を神格化していることはあります。 しかし、そういった場合でも、神さまの具体的な姿形が見えるわけではありません。
神社という場所は、何かが「おわします」感覚を与えてくれます。 神道には、教派神道として発達したものを除いては、開祖や教祖がいるわけでもなく、確固たる教義や経典もありません。 誰かに教わって理解したり、神さまの姿を実際に見たりするのではなく、「感じる」ことが大切なのです。
一人ひとり感じられる神さまは違います。 そして、神道はお互いの生活を理解し尊重し合いながら、平穏無事に、そして創造的な暮らしへと導くことを役割としています。
だからこそ、神社は他の神さまや宗教を拒みません。 さまざまな願いを込めて特別な御利益を求め、お守りをたくさん所有したとしても、神さまが怒ることはありません。どうぞ安心して、神社にいらしてください。









History













暮らしとともに
人々の暮らしや、神さまに対する考え方や関わり方……。神社を取り巻く環境は、時代とともに変化してきました。いにしえより神社は、人々の暮らしとともにありました。 神さまを祀る集団(氏子)が除々に形成され、その集団の精神的中心をなすものとして神社が祀られるようになりました。 伝導や布教を行う宗教のように神社が建立されて、それを信仰する人々が集まってきた、というわけではないのです。
浄明正直
だからこそ、人々の暮らしのあり方が変わったのなら、神社のあり方も変わっていかなければなりません。しかし、「神社」であるためには「変えてはならない」こともまた多くあります。
古代より日本人は、神々を丁重に祀ってきました。「浄明正直(じょうめいしょうちょく)」という古代の宣命に記されるように、日本の神さまは「穢」を嫌い、清浄を尊ぶことで知られています。 神々を祀る神域が清浄さに欠け、私利私欲に満ちた穢れの空間になってしまったら、神々の居心地が悪くなり、神さまは神社から離れてしまいます。
いにしえより、先人から受け継がれてきたこの「神々のおわすところ」。この先ずっと、神さまのために居心地がいい神社として“変わわらぬよう”、“変わりつづける”ことが重要で、そして後世へとしっかり残していかなければなりません。

